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熊野大社と火の祭事

出雲国一の宮

『出雲国風土記』に「熊野大社」と記載され、『延喜式神名帳』(927) に「熊野坐神社」とあるのは、この熊野大社を云う。出雲国造は、熊野大社を出雲の象徴の一の宮として祭祀することにより、政事を治めた。出雲国造の末裔である出雲大社宮司家の千家(せんげ)家では、その世継の神器として熊野大社から燧臼(ヒキリウス)・燧杵(ヒキリキネ)を拝受するが、昔を今に言い継ぎ語り伝える重儀にほかならない。これによって熊野大神の貴い霊威を知ることが出来る。

社殿全体
社殿全体

御由緒

『出雲国風土記』には、「熊野山謂わゆる熊野大神の社坐す」と記している。この熊野山は現に“元宮ヶ成(げんぐうがなり)”と称しており、古代祭祀の巨大な磐座がある。すなわち、「熊成峯(くまなりのみね)」・「元宮ヶ成」とは聖地の尊称であり、共にカミが顕現された処を表現していると云えよう。熊野大社の元々の宮地は、清浄な山であって意宇川の源流もここにある。  

この「熊成峯」・「元宮ヶ成」に熊野大神櫛御気野命(くまぬのおおかみくしみけぬのみこと)の創祀がある。古い世から信仰は広まり、常に杵築大社(出雲大社)より神階が上位にあったことからしても、如何にその御神威が尊貴であり、御神徳が広厚であったかを知ることが出来る。  

『延喜式神名帳』のなかで特に「大社」の称号を負う神社は稀であることによっても、出雲という僻陬の地に坐しながら「熊野大社」と敬仰される程に由緒は深遠である。

然しながら、社運の衰微によって中世に至ると、上宮を熊野権現と拝し、下宮を伊勢宮と敬して二社祭祀の形態に造営された。このため、かえって祭祀と尊崇に複雑な変化と混乱をみた。

明治4年(1872)の神社制度の改正によって「国幣中社」に列せられたのを機に、現今の社地に神域を整備して上宮と下宮とを合祀して造営が進められ、同14年に造営は成った。大正5年(1916)に「国幣大社」に仰出された。

『熊野大社由緒略記』より

鑽火祭の由来

熊野大社の鑽火祭は、出雲国造の「火継式」にその性格を見ることができる。

出雲大社の国造はかつて、意宇の里(出雲国庁跡付近)に住んでいたが、国造家の祖先であるアメノホヒノミコト(天穂日命)は、クマヌノオオカミクシミケヌノミコト(熊野大神櫛御気野命)から燧臼・燧杵を受けたといわれている。それ以来、出雲国造はそれらできり出された火で心身を清め、神に仕えることになった。この約束は今でもうけつがれているため、国造が亡くなると、次の国造は一昼夜おかず、ただちに国造家に伝わる燧臼・燧杵を持って国造館を出発し、熊野大社へおもむく。そして鑽火殿において、この臼と杵とにより神火をきり出し、その火で調理した食事を食べることにより初めて出雲国造となるのである。  

こうやってきり出された火は、その国造が生きている間は、国造館の斎火殿(お火所)という場所で火が消えないように厳しく守った。かつて国造は、一生この火で調理したもののみを食べ、家族といえどもこれを口にしてはならなかったといわれている。このように火が大切にされるのは、「火」が「霊」と同一に見なされているからである。国造の交替時において火継式が行われているのは、「霊」を継ぐという意味からである。このような大切な「火」をきり出す熊野大社は、出雲国造にとっては古代におけると同様に、依然として重要な意味を持った神社であり続けている。 神聖な「火」の発祥地でもある熊野大社は、別名「日本火出初社」といわれている。熊野大社の鑽火祭は、この「火継式」にならいクマヌノオオカミ(熊野大神)がまつられている熊野大社において、年ごとに火をきり出す神事なのである。

出雲国造・百番の舞
出雲国造・百番の舞

百番の舞

 鑽火祭の当日、国造は百番の舞を舞う。国造は榊の小枝を取って大きく輪をえがきながら舞い、百回(ここでは、五十回)くりかえす。

 この舞の間、伶人(音楽を演奏する人)は琴板という古い楽器を打ち鳴らしながら、前の二十五番までは「アアアア、ウンウン」ととなえ、後の二十五番には神楽歌を、「皇神をよき日にまつりしあすよりは、あけの衣を褻衣にせん」と唄う。この神楽歌は『後拾遺集』にある歌で、褻衣とはふだん着という意味である。この百番の舞というのは、神々の恩恵によって農作物が豊作であったことに対する喜びを神に表現する儀礼である。百番の舞が終わると国造は退出し、神事は終わる。

神火の鑽り出し

熊野大社では、鑽火祭の時に燧臼と燧杵を出雲大社の宮司に授け渡す儀式があり、きわめて有名な神事となっている。また、燧臼と燧杵は、平素は鑽火殿に保管されている。

 燧臼と燧杵というのは、もともと古代の人たちが火をおこすときに使った道具で、最も原始的な古い形式の発火器である。

 熊野大社のものは、約1m×12cm×3cmの桧の板(燧臼)に長さ80cm、直径2cmの卯木の木の丸い棒(燧杵)を立てて、両手で力を入れてもむというやり方をする(錐もみ式)。根気よく続けると煙が出てきて、やがて発火するわけである。     

 『熊野大社誌』より

熊野大社八雲楽

熊野大社八雲楽
熊野大社八雲楽

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