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第16回「かがり火とバリ舞踊の夕べ」
―幻のレゴン“ジョゲッ・ピンギタン”―

パンフレット表紙パンフレット裏表紙

プログラム

1.火祭り祭事
八雲楽と巫女舞  熊野大社伶人・巫女
2.ガムラン楽曲
3.バパン・グデ
4.チョンドン・レゴン
5.楽曲
6.チャロナラン

出演者プロフィール

〔舞踊〕ニ・クトゥット・チュニック Ni Ketut Cenik
現役最長老の女性バリ舞踊家

公称1923年生まれ、とはいえ本人もよく知らない。資料を調べても1920年から25年まで…バリのスニマン・トゥア(長老芸能者、とでもいえばよいだろうか、Master、Maestro的意味合いをもつ)の例に洩れず、幅広い。従って現在、西暦で数えればおそらく80代半ば、しかしいまも常に現役の踊り手である。なぜなら彼女にとって、踊ることが生きること、その言葉通りでしかないから。同世代の名手たちのほとんどが他界したいま、オランダ植民地時代から今日まで、バリ、そしてインドネシアの歴史そのものを、イブ・チュニック(通称、以下こう記す、チュニック〈小さな〉母さん)はただひとり、踊りという、自身の肉体を通じての行為のみをもって、生き抜いてきた。“最後のレゴン(踊り子、また踊りそのものをもいう)”と呼ばれる所以である。  

彼女のような踊り手は、インドネシア中を眺めても、もう数えるほどしかいないだろう。それは踊りの技術といったものではない。踊る心のありよう、とでも言うべきか。極貧の家に生まれ、祭りで供される一椀の白いご飯が嬉しくて踊り続けてきた。素顔を見れば、バリのどこにでもいそうな、愛らしい、ただの田舎のお婆ちゃん…だがひとたび舞台に立つ時、その姿には凄まじいまでの誇りが充ちている。それは自らが自らの師である、という矜持だ。多くの師につきながらも、天成の才能が師を超えさせ、観客との交流の中から自ずと新たな動きを編み出す…それこそがかつてのバリの踊り手であった。アルジャやガンブー、チャロナランなど伝統的舞踊劇でも、遺憾なくその芸は発揮されるが、何と言ってもイブ・チュニックそのもの、それがジョゲッ・ピンギタン である。

ジョゲッ・ピンギタンは、バリではほとんど見られない女性の独り舞で、しかもただ一人の踊り手が物語を次々と役柄を替えて演じ分けるという、きわめて特異な舞踊である。そしていま、その最後の継承者ともいうべき踊り手、それがニ・クトゥット・チュニック…80歳を超えてなお、現役で踊り続けているレゴンなのである。

 老いたりとはいえ、チュニックさんは舞台上ではなお意気旺ん、ほとばしるエネルギーはとどまるところを知らない。しかし同時に、人の生が限りあることを思う時、もはやこの希有の踊りを本来の姿で目にする機会は、いまをおいてないのではないかと思われる。そんな彼女を愛する海外のバリ芸能愛好家は多く、息子たちと共に行った国外公演は数え切れない。近年ではアメリカ(2002)、フランス(2003)など。だが不思議なことに、日本では1990年、単独で来日したほか、本格的紹介を受けたことがなく、2008年公演は本邦初公演であり、きわめて貴重な機会となるだろう。インドネシア政府より文化功労者として、ウィジャヤ・クスマ賞、ダルマ・クスマ賞等を受賞。

〔舞踊〕ニ・ワヤン・スカリアニ  Ni Wayan Sekariani
チュニックさんの孫で後継者と目されている、中堅女性バリ舞踊家

1964年、バリ、バトゥアン村の舞踊家一族に生まれる。叔父はバリ島内のみならず世界中で高名な仮面舞踊家マデ・ジマット、祖母は人間国宝にも比せられる踊り手イブ・チュニック。5歳の頃から舞踊を始め、7歳より叔父ジマットから正式に教えを受ける。1979年、15歳で叔父より古典舞踊劇ガンブーの伝承を許され、以後、バリでも数少ないガンブーの踊り手として活躍。高校卒業後インドネシア高等芸術アカデミー(ASTI、現STSI)に入学するも、事故により中退。以後、結婚を経て、1994年より活動を再開し、いまバリのトップダンサーの一人と言ってよい。  

主に男型舞踊を得意とするが、ガンブーを始め芸域は広く、ほぼ全分野の舞踊をこなす。今回の演目ジョゲッ・ピンギタンでは、継承も危ぶまれる現在、身近に祖母の芸を見て育ち、学んできた彼女こそ、最良の後継者と目されている。  海外公演、ワークショップ等の経験も豊かで、近年はコンテンポラリーダンスのプロジェクトにも参加。また女性のみの舞踊団でも活躍している。舞踊教師としてもよく知られ、内外を問わず生徒は多数。1996年以降、毎年、ナロパ大学(米・コロラド州)現地客員教授として、バリにて生徒を受け入れている。

〔伴奏〕ガムラン・ジョゲッ・ピンギタン・バンジャール・プクウダン  Gamelan Joged Pingitan – Br.Pekuudan
バトゥアン村内の集落で組織された、同村唯一のジョゲッ・ピンギタン楽団

 バリ島中部ギャニアール県は、芸術の村として海外にも名高いウブドをはじめ、バリの中でも古くから、芸能がことに盛んなところである。ギャニアール県のほぼ中央部にあるスカワティ村の芸能の中心地といってよいのがバトゥアン村。バリの村は一般に、バンジャールと呼ぶいくつかの集落から構成され、バリ人の日常生活はこの集落単位で営まれる。いわゆるゴン、青銅製のガムランは製作費もかかるため、公共的には村または寺で、その他は芸能集団が独自に保持するのが普通だ。

 青銅製のガムランの他に、村々での娯楽として、ティンクリックという竹筒製のガムランも愛好され、後に、同じ竹製ながら鍵盤式の板を並べた竹製ガムランとなり、物語を演ずる踊りの伴奏を担当するようになった。今日でも、踊りとガムランの双方がジョゲッ・ピンギタンと呼ばれている。  

ガムラン・ジョゲッ・ピンギタンはその盛時に、村々でそれぞれ演奏されたようだが、しかし往時から伝わるセットは今、ほとんどなく、わずかに残るものさえも、近年売却が図られているという惨状である。そんな中、プクウダンのガムランはバンジャールとイブ・チュニック、息子マデ・ジマットらが協力して作られた。そしてイブ・チュニックは、いわば村人一人ひとりの手をとって曲を教え、楽士たちを育てあげたのだという。それ故このガムラン楽団は、プクウダンのバンジャールに所属するものではあるが、一面イブ・チュニック専属といってもよく、踊り子と楽士のぴったり呼吸のあった舞台もまた、観どころである。 (バリ芸能研究会)

第16回「かがり火とバリ舞踊の夕べ」 写真

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